(指揮者/高橋利幸HP『徒然草』2008.12.10*百九十一段*より)

 作曲家の遠藤  実さんが今月始めに亡くなられた。
 テレビで特別番組を放映していた。あまりに多くの曲が紹介され、ほとんどが耳にした曲なので、ヱヱ?この曲も・・・と見入ってしまった。

 昨日の徒然草から、中田喜直さんのことを書いている。今日は、何を書こうか。

 遠藤実さんも中田喜直さんもメロディー作曲家だなぁ、と共通するものを感じた。また、番組では歌手の方が遠藤実さんの生前の想い出を話していた。その人柄をだれもが懐かしんでいた。

 音楽の分野で一流と称される人は人柄も一流だ、というのが私の持論だ。何人かの作曲家の方と接する機会を得ているうちに、そう思うようになった。

 一流の人は、威張らない。おれは一流だと自分では語らないし、態度にも出さない。一流半くらいの人が概して己から一流を誇示したがる。

 中田喜直さんが、合唱団の練習に来てくださったことがあった。中田さんの作品の練習だ。指揮について、解釈について、ほとんど注文をつけられなかった。
 一回だけ、聞かれたことがある。小品のある箇所で、楽譜には無い長めの間をおいて、音楽を一瞬停めてみたことがあった。その時は、どうしてそう解釈をしたのかと尋ねられた。

 ただし、こうしろ、とかは言われなかった。若い未熟な指揮者への思いやりの優しさと、包容力を感じた。演奏会後の打ち上げの会にも顔を出してくださって、メンバーとも気さくに話されていた。

 当時から大学教授であられたし、作曲家の会を束ねられたり、童謡協会の会長などもされていたはずだ。組織を束ねられる器の大きさと、人を活かすことの術を持っておられたのだろう。とかく音楽関係の人は、我こそが一番なり、と思ったり、常に自分が中心でないと気分を害する人がいるものだが、それは見ていて醜いものだ。
 中田さんは、そんな雰囲気を少しも感じさせなかった。私が今でも敬愛する所以の一つだ。

 メロディー作曲家といえる人が少なくなってしまった。同時にその姿だけで存在感を示す人もみられなくなった。巧言令色少なし、仁・・・このことばももはや死語か。

 我先を争い、嫉妬や権謀術策に走る・・・そんな人が跋扈するような今の社会だ。
 音楽活動はそれとは無縁のものであって欲しいのだが、それは夢と理想かも知れない。私は、その夢と理想を追いつづける。

 そうだ、一度だけ問われたその小品の曲名は、「ねむの花」・・・いま、私の指揮をする合唱団の名前でもある。




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ねむの花 第5回演奏会 「女声合唱の世界 〜忘れられない名曲シリーズVol.1〜

指揮者/高橋利幸HP

中田喜直の人柄