(指揮者/高橋利幸HP『徒然草』2008.12.11*百九十二段*より)

 「あなたはつかれた おねむりなさいというように」・・・中田喜直の『ねむの花』の最初の部分だ。ピアノによる三拍子のふわっとした、四小節のさりげない伴奏から曲が始まる。私は、「あなたは つかれた」という部分だけで、この曲のとりこになってしまった。今でもこの最初の部分だけで胸が熱くなるのだ。

 昭和29年に、この曲の第一刷が出版されている。昭和29年というと何年前になるのだろうか。西暦1954年だから54年前の出版になる。半世紀以上も前の曲だ。私の青山タワーホールでの最初の指揮が1972年だ。この時の指揮をした中に「ねむの花」も入っていた。その時点でさえも、作曲されてから18年も経っていたとは・・・その時には思わなかった感慨が胸を締めつける。

 作詩は壺田花子さんだ。中田喜直は壺田さんのほかの詩にも曲をつけた。『石臼の歌』『夏河』がそれだ。壺田さんの詩は出だしが印象的だ。「あなたは つかれた・・・」もそうだし、「秋の日を 輪廻の・・・」で始まる『石臼の歌』も同様だ。『夏河』は「水の底なるオフェリア様・・・」で詩が始まる。

 『ねむの花』でいえば、四つの部分に分かれる各部分の最初の言葉が印象的だ。「あなたは つかれた」「風の中で誰か歌う」「変わり果てたこの世の岸辺」「優しい腕によりそって」この四つの言葉から中田の音楽が展開されて行く。最初の二つの部分は冒頭の言葉のようにやさしく、三つ目の部分は打って変わって苦しさの表現だ。実は、二番目の後半からその予感はしてくるのだが・・・。

 「あれは昔の愛の歌よ」この部分で次のすさまじさが、ある程度は予感できる。そして最後の部分では、また安らぎを取り戻すのだが、終わりの詩は「この世の岸辺に」で終わる。

 『ねむの花』という題名と最初のさりげないピアノの前奏で、単なる小品かと思ってしまうのだが、悲痛でもあり、苦しくもあり、かなしくもあり、溶け入るような、包み込まれるような、様々な様相を見せてくれる奥の深い曲だ。

 そう、前段で書いた中田氏からの指摘のところだが、「声には立たぬ あれは昔の・・・ 愛の歌よ」の「・・・」の部分だ。ほんの少しのrit.の指定なのに、空白の時間をあえて作った。

 その時は、それが自然だと感じたからだ。

 さて、こんど指揮をするときには、どう処理するのか。それはその時にならなければわからない。音楽表現の即興性とここでは言っておこう。

 「ねむの花」という合唱団の名前には、ことさらの思いがある。




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ねむの花 第5回演奏会 「女声合唱の世界 〜忘れられない名曲シリーズVol.1〜

指揮者/高橋利幸HP

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