合唱曲でのピアノ伴奏の役割を考える。ピアノ伴奏・・・「伴奏」ではなくて、「ピアノ演奏」があるべき言い方だろうが、慣例のように伴奏と言っている。合唱曲は合唱とピアノによって演奏されることが多い。何十人もいる歌う人たちとピアノを弾く一人の人は、音楽表現的に対等の役割を担うはずだ。人数の比較だけを考えても一人のピアニストの役割は大きいとしか言いようがない。指揮者としてもピアノの表現に注文をつける。ただし、聞くところによるとほとんどピアノには注文をしない指揮者も意外にいるようだ。

 5日に指揮をする田三郎の合唱曲の特徴に、重厚な響き、あるいは重い精神を表現する曲が多いことがあげられる。当然ピアノのパートにもそれは当てはまる。同じ合唱組曲でもピアノバージョンとオーケストラバージョンの二つがあることからも、管弦楽の音と合唱の声との組み合わせも念頭にあっての作曲だと言っていいだろう。

 コントラバスを思わせるピアノの最低音域を使う場面も多い。ピチカートなのかアルコかの想像をしながらピアニストは音を出さなければならない。ピアノをピアノ独奏のようにピアノという物理的な機能に焦点を当てて弾くのか、オーケストラをイメージして音を出すのか、結果として表現方法が違ってくる。そこに気の付くピアニストと、そこまでに思いが届かないピアニストが存在する。

 それと、重要なのが、今、そこにあるピアノでどのような音を出せるか・・・これだ。練習会場やホールのピアノはそれぞれに状態が違う。練習の時はアップライトピアノの時もあるし、エレクトリックピアノの時もある。それでも、そのピアノで最高の音を出せる人、これがピアニストとして求められるスキルだ。現実に大きく重いピアノ本体を持参で演奏会に臨む人は、世界中を探してもごくごくわずかなのだから。

 今回の演奏会でピアノを担当するОさんは、類い稀なピアニストだと思う。最大の特徴が二つある。その一つはもちろん音色だ。そしてもう一つが、微妙な音楽の推進力なのだが、この言い方ではよくわからないだろう。まさしく微妙に音楽が前に進むのだ。テンポが速くなるのではない。この感覚は私だけが感じるものか、ほかの指揮者も感じているのか、そのあたりが知りたいところでもある。表面上は必死にさらっている様子はうかがえない。(秘密練習をしていれば、それはまた違うのだが・・・) それに、深く物事を考えているようにも思えず・・・不思議なピアニストだ。天賦の才能があるとしか私には思えない。本人はそんな様子を少しも出さないから、実際のところはよくわからない。

 合唱の練習がスムーズに運ぶこと、これで、ピアニストの力量がわかる。ピアノ伴奏を専門にしているわけではないのに、俗にいう「伴奏」をしっかりとできる。この微妙な天賦の才を5日の演奏会に来て下さる人には感じてほしいのだが、はたしてどう感じてくださるか。二年前に三善晃さんの「三つの抒情」のピアノを担当してもらった。今年の3月にはベートーヴェンの「皇帝」のソリストをお願いした。今回は、ひとつの演奏会のピアノを一人で受け持つ。(実は、女声合唱団ねむの花では、常に複数のピアニストが演奏を担当してきた。)

 今までのキャリアをもとに、これからの活躍が期待できる人だ。このあたりで、そのきっかけの一つを作るという私の役目は終わりそうだ。ピアニストは練習量が物を言う。若いがゆえにピアノ以外にも関心を持つのも当然だ。そうなると、他のこととピアノの練習との時間配分をうまくコントロールする必要がある。そんな余計な心配をしてしまうОさんなのだが、武器として「天然」とも言えるユニークさがある。茫洋として、はっきりとは姿を見せない才能の開花をひたすら願いながら合唱団の演奏会を迎える。





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ねむの花 第8回演奏会 「愛と心の歌 〜忘れられない名曲シリーズVol.4〜

指揮者/高橋利幸HP

(指揮者/高橋利幸HP『徒然草』2010.6.4*四百二十九段*より)

合唱のピアノ