H.Aさんという歌手がいる。ホルストの「木星」、エルガーの行進曲「威風堂々」2番のメインテーマをカヴァーして日本語で歌っている。多くの人に人気があるようだ。聴いてみると、なるほど・・・と思うところがある。それは、歌詞の子音の発音だ。実に明確に発音している。「さ」行の発音のみならず、「は」行、「か」行の比較的口腔の奥で破裂する音でも明確だ。あるいは、意識して強調しているかもしれない。それにしても、この工夫と研究は大きな説得力を生み出している。
 ソロの歌手としては当然だとも思えるが、クラシック系の歌手は、日本語の発音がイマイチだと感じることも多い。イタリア語の曲とかドイツ語の曲を学生時代に多く学んだ結果なのだろうか。何人かの有名な歌手が、日本の曲を録音している。微妙な違和感を覚える。その原因の一つが子音の処理だとわたしは思う。

 日本人ではないが、子音の処理が一番うまいのは、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウだ。声はもちろん美声だ。しかし、それを超える歌詞の発音が大きな魅力となっている。(歌手としての役目を終えた彼は、朗読に残りの人生を賭けている。納得だ。)

 さて、合唱となると、人数が多くなるだけ、子音の発音の効果を上げるのが難しい。骨格や歯並びや舌の動き方など、一人ひとり違うからだ。それに子音への意識もそれぞれに違う。そう考えれば、ある程度の妥協が生まれることは大いにある。だいたい、普段話している日本語なのだから、それほど神経質に考えながら話していることもなく、なんとなくわかっているのが会話の中での日本語だ。

 表現するものとしてシビアに考えれば、意識は変わるはずだ。同じ子音でも強調するときと、あえてぼかす時とがあり、その程度差もある。それに作詞家の思いや、作曲家の思いを推し量れば、否応なく神経を使う観点になる。詩のついている曲でも、仮に詩がなくても、魅力的な曲も有り、詩がすべてということでもないのだが、純器楽曲とは違って、詩に触発されて作曲へと至ることを考えれば仇やおろそかにはできない歌詞の発音だ。特に耳に残る子音の発音については、もっと徹底して表現できるように妥協することなく追求したい。

 6月5日の田三郎作品集では、詩の持つ意味が常に重く存在しているだけに、苦心の練習だ。全部に満足はできなくても、聴いている人に一瞬でも言葉の一つで光るものを見つけてほしい。
 そのきらめきや光の発見が、小さな喜びになるのだと思う。音楽の魅力も人の魅力も同じようなものではないか。考えれば「神」ではないわたしたち人間が、常に輝くことはそれこそ人間業ではできないことだし、何かの瞬間に輝くことができ、誰かがそれを気付いてくれれば、それこそ生きる喜びの瞬間でもある。そんな発見をしながら生きてゆきたい。





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ねむの花 第8回演奏会 「愛と心の歌 〜忘れられない名曲シリーズVol.4〜

指揮者/高橋利幸HP

(指揮者/高橋利幸HP『徒然草』2010.5.28*四百二十六段*より)

子音の発音