(指揮者/高橋利幸HP 『徒然草』 2007.9.28*十段* より)

 来年の女声合唱団「ねむの花」の演奏会で、三善晃作曲の『女声合唱のための三つの抒情』を取り上げる。昭和50年版の楽譜と平成19年版の楽譜がある。1975年と2007年、実に32年の隔たりがある。版は変わらず81刷となっていた。1975年に書いた「私の夜想」という前文も同じだ。
 その前文の後半に次の文がある。『今も、風と波と碧の闇の中に閉じ込められて私が私の裡にいる。その私は、今の私がもう決して、この三つの曲のような「夜想」を歌い得ないことを、時には責めるために、時には慰めるために、これらの詩句を歌う。やさしいひとらよ、たずねるな!と。』
 三善晃が使った詩が前文のとおりに、あふれるばかりの想いでうたわれ、そして、「そのように」あるいは「かく、あるべし」としか言えないような旋律で更に命を吹き込まれる。二人の天才詩人と一人の天才作曲家が生み出す芸術の魔法を見ているかのようにも思える。
 「おまへ」「あれ」「いまは」・・・こんな短い語句に、こんなにも命を感じるとは!。詩人と作曲家の融合だ。立原道造の『或る風に寄せて』の冒頭の「おまえのことでいっぱいだった 西風よ」、中原中也の『北の海』の冒頭「海にいるのは あれは人魚ではないのです。」、立原道造の『ふるさとの夜に寄す』の冒頭「やさしいひとらよ、たずねるな!−−−なにをおまへはしてきたかと私に・・・」この冒頭だけで曲の魅力に引きこまれる。(その前のピアノの前奏部分ですでに…。といってもよいが。)
 若い三善 晃の「心のおののき」がそのまま曲になったとしか・・・。

 一般的にいうクラシックの曲ではバッハ、ベートーヴェン、シューベルトの曲などが長い歴史の中で、今でも愛好され、親しまれ、たびたび演奏されるのが当たり前になっているが、こと邦人作曲家の作品は必ずしもそうではない。合唱曲では更にその傾向が増しているような気がする。特に故人となってしまった高田三郎や中田喜直、清水脩、團伊久磨らの作品はもっと演奏され、もっと親しまれててしかるべきだ、という思いを持ってきた。これから何曲の演奏が可能かわかならいが、邦人作曲家の作品をできるだけ多く取り上げたい。『三つの抒情』もその中の一曲だ。もちろん!


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ねむの花 第4回演奏会 「邦人作曲家四人展」
心の歌・歌のこころ 「邦人作曲家四人展」

指揮者/高橋利幸HP


三つの抒情