(指揮者/高橋利幸HP 『徒然草』 2008.3.17*六十六段* より)

 合唱作曲家としての高田三郎を世に知らしめたのは「私の願い」という曲だろう。そして決定的に支持をされたのが合唱組曲「水のいのち」だ。ともに高野喜久雄の詩を元に作曲している。この合唱組曲「水のいのち」と同じく、合唱組曲「心の四季」が一番歌われた作品ではないだろうか。まさに一世を風靡したといっても過言ではない。私が若いころ、いろいろな合唱団、何人もの合唱指揮者が数え切れないくらいの演奏をしていた。

 高田三郎の選ぶ詩には、なにか共通点があるように思う。直接的な表現ではなく、人間の心の襞を、あるいは深奥を、あるいは本質を詩にして表現したものだ。水のいのちが高野喜久雄、心の四季が吉野 弘の詩だ。この二曲はあまりにも知れ渡っているので、ほかの作品を見てみよう。村上博子さんの詩に曲をつけた女声合唱組曲「遙かな歩み」という曲がある。

 その中に「櫛」という詩がある。「心にたしかめ たしかめる たび 朱色の櫛を髪に挿す 若い母の丸髷を飾った櫛 父の瞼は おぼえているという どこにも残されていない絵姿を・・・・・」この一節だけで惹かれるものがないだろうか。言葉が心の奥に突き刺さるようではないか。「心にたしかめ たしかめる たび」が三回も出てきてさらに印象を深くしてくれる。

 吉野 弘の「雪の日に」はこう始まる。「雪がはげしく ふりつづける 雪の白さをこらえながら 欺きやすい 雪の白さ 誰もが信じる 雪の白さ 信じられている雪は せつない どこに 純白の心など あろう どこに 汚れぬ雪など あろう・・・・・」相反するもの、純白といいながら汚れぬ雪などあろう・・という、この矛盾と苦悩が私の心を、はっとさせる。

 詩と音楽が結びついた合唱作品は、詩人の感性、苦悶、矛盾を余すことなく伝えている。数多い曲のなかから、この曲を演奏する、指揮をすると選択したからには、その曲の伝えるべきものを余すことなく音にして伝えたい。だが、言うが易く行いは難しい、のたとえのとおり実現は困難なことだ。作品への共感から、作品の研究、技術の練磨、また作品への共感・・・というように輪廻のような積み重ねのみが表現を高みへと導く。ようやくそんな風に思えるようになってきた。

 5月には「水のいのち」の指揮が待っている。指揮と合唱とピアノとで、どのように曲の本質に迫れるか。何度も振っている曲だけに、この曲の表現の難しさも知っている。久しぶりの挑戦者の気持ちだ。



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ねむの花 第4回演奏会 「邦人作曲家四人展」

指揮者/高橋利幸HP

合唱組曲の指揮