(指揮者/高橋利幸HP 『徒然草』 2008.3.18*六十七段* より)

 私にとっての高田三郎・・・高田三郎、と敬称をつけないで書くのが恐れ多い気がする。文章上のことなのでお許しいただくとして、作曲家・高田三郎先生を、すでに故・高田三郎とお呼びしなければならないのが残念でたまらない。私が初めて青山タワーホールで合唱団の一晩の公演の指揮をしたのが25歳の時、その時のメインプロが高田三郎の「水のいのち」だった。

 四ステージ構成で、磯部 俶、中田喜直、湯山 昭、そして最後のステージが高田三郎だ。もちろん私自身が「水のいのち」にあこがれていたし、合唱団員も同様だ。その時代の合唱音楽の流れというか、時代の波というか、高田三郎の合唱組曲をメインにプログラムを組むという演奏会は決して少なくなかった。

 指揮をしてみると分かるのだが、高田三郎の組曲は表現が難しい。それは音程やリズムが難しいのではない。構成が難しいといったらよいのか・・・。一度指揮をしても、なんだか自分自身が満足しなくなり、再度、再再度と指揮をしたくなる不思議な組曲といったほうが適切かも知れない。あるいは指揮者泣かせの合唱曲といってもよい。

 表面を整えて済むという曲ではもちろんない。美しい歌声だけでも通用しない。見た目やセンスだけ、あるいは思いつきや直感だけでもダメ、ひたすら曲の深さを求めなければならないように思えてくる曲なのだ。詩だけを読んでも深い、曲を聴いても深い、追っても追い切れないような気さえしてくる。ある音楽評論家で、指揮もなさる方が同様のことを本で書かれていて、わが意を強くしたことも覚えている。

 今まで、高田三郎の「水のいのち」の全曲をまだ聴いたことがない人がいたら、この機会にぜひ聴いてみることをお勧めする。高田三郎自身が指揮をした録音もある。組曲全体は五曲で成り立っている。「水たまり」「川」「海よ」は、単独でもコンクールなどでよく演奏されていた。単独でも感銘を受けるが、やはり全曲を聴いてほしいものだ。ベートーヴェンやブラームスの交響曲を、四楽章まで全部聴いた時と同じような充足感を得られると思う。

 何度も指揮をした作曲家の方なのに、一度もお目にかかれることがなかった。それでも、私の中の神とも聖書とも思える人と曲だ。尚美学院で指揮を学んでいた時の副科ピアノの先生が、国立音楽大学で高田三郎先生の愛弟子だった。時々、レッスンの合間に師匠である高田三郎先生のお話を伺った。高田三郎の作曲したオペラ「蒼き狼」の初演を聴いた。その副科ピアノの先生に勧められたから聴くことができた。思い出は尽きることがないくらいに広がってくる。




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ねむの花 第4回演奏会 「邦人作曲家四人展」

指揮者/高橋利幸HP

合唱組曲の指揮