(指揮者/高橋利幸HP 『徒然草』 2007.12.20*二十五段* より)

 風林火山が終わった。山本勘助は討ち死にした。父親を放逐し領主となった武田信玄、毘沙門天の化身のような無敗の上杉謙信も登場するのに山本勘助のいちずな生き方が印象深い。勘助の主君への思い、由布姫への思い、その子勝頼への思い、武田家への思いは尋常を越えていた。
  「いちず」・・・この言葉はいまではあまり聞かれない。もはや死語になったのか。あるいは自己のためのいちずになってしまったのか。いまは、悲しい時代だ。勝ち組や負け組という言葉が当たり前に使われ、殺人、銃の乱射、飲酒運転の事故などのニュースが日常茶飯事だ。いつのまにか拝金主義に陥り、節度やあるべき価値観をなくしてしまった。

 「いちず」・・・高野喜久雄は詩のなかでこう歌う。

「見えないつばさ、いちずなつばさあるかぎり、登れ 登りゆけ、おお。」・・・と。
高田三郎は合唱組曲「水のいのち」に高野喜久雄の詩を用いた。

雨になって降り注ぐ水、水たまりとなった雨が小さな水源から川になる。そして川は海にそそがれ、海からまた降り注ぐ雨になることをわかっているのに空に登り、やがては雨となって再び降り注ぐ。

 降りしきれ雨よ・・・から始まる、水のいのちに人間のいのちを重ねて歌い上げた名曲だ。 

 ふたたび降る雨となるのは、いちずなつばさがあるからだ。他の物や他人にではなく、まさに自分を貫くための、自分を高めるための思いのいちずさ・・・。失ってはならないもののひとつだとあらためて思った。


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ねむの花 第4回演奏会 「邦人作曲家四人展」
心の歌・歌のこころ 「邦人作曲家四人展」

指揮者/高橋利幸HP


水のいのち