(指揮者/高橋利幸HP 『徒然草』 2007.12.30*二十八段* より)

 合唱の組曲という場合は管弦楽の組曲とは少し意味合いが違うようだ。管弦楽の組曲で思い浮かぶのは白鳥の湖や胡桃割り人形、眠れる森の美女に代表されるバレエ音楽から抜粋して組曲にしたもの、あるいはカルメンのようにオペラから抜粋したもの、またアルルの女のように戯曲から組み合わせたものが思い浮かぶ。

 さて、合唱組曲は、と考えると、ひとりの詩人の詩を用いて作曲されるものが大部分で、管弦楽のように全曲版からの抜粋ではなく、初めから合唱組曲としてつくられることが多いのではないだろうか。
 合唱曲では小品といわれる単独の4、5分の曲も多いし、小宇宙を描いているような短い時間の中に物語が完結される独特の魅力がある。特に詩と音楽が融合された曲の魅力は曲の短さが逆に凝縮された美をさえ感じさせてくれる。

 合唱組曲はその単作品を集めて組み合わせたのではなく組曲全体としての意味や意図を持っていることを思わせる。それはひとりの詩人の詩を用いていることや、時間の経過や出来事の流れや、詩人と作曲家のメッセージを強く打ち出していることからもいえる。演奏者に、また聴く人の心により強く迫ってくるのだ。

 合唱の場合は詩の意味を、詩自体が持つ大きな力を無視することはできない。世界の多くの作曲家が合唱曲を作っている。合唱と管弦楽とを組み合わせた曲や、ミサ曲やレクイエムなどキリストや教会との関係から生まれた曲、もちろん無伴奏の小品まで規模や曲の長さも千差万別で数え切れないくらいだろう。その古今の名曲の存在を充分に認めた上で詩の重要さを思うとき、どうしても邦人作曲家の作品に心が動く。おそらくどの国の言葉にも微妙なニュアンスがあり、その国の歴史や国民性あるいは民族性があるのだと思う。母とmotherとは同じ意味でも使う民族によってそれぞれのニュアンスの違いがあるように。

 大木敦夫、佐藤春夫、伊藤海彦、中村千栄子、和田徹三、丸山 豊、小林純一、岩谷時子、吉野 弘、高野喜久雄など錚々たる詩人に日本を代表する作曲家が曲をつけ合唱組曲として世に送り出している。その心に思いを馳せ、心を察しながら演奏する者としての役割を担いたい。
 合唱組曲の演奏では、小品を指揮するのとは違った観点で曲に向かう。それは構成という観点に重きをおいて表現をしなければならないと思うからだ。構成力を抜きにしての演奏では単なる小品の羅列に過ぎなくなってしまうことに注意が 必要だ。


ねむの花 HOME
ねむの花 第4回演奏会 「邦人作曲家四人展」

指揮者/高橋利幸HP

合唱組曲の指揮