(指揮者/高橋利幸HP 『徒然草』 2008.2.9*四十八段* より)

 アマチュアの音楽活動や表現について考える。プロとアマの違いは、と考えるといろいろな考え方や物の見方があるだろうから、おもに音楽活動で生計をたてている人をプロと呼び、他の仕事で生計を立てて、そのほかに音楽活動もしている人をアマチュアとここでは呼ぶこととする。

 人間が生み出した最高の芸術といえる音楽を享受することは誰もがする権利があるし、その享受することには鑑賞者としてのものと、表現者としてのものがあるはずだ。音楽は作り出す作曲家と楽譜を音にする演奏者と鑑賞する聴衆がいて初めて成立する芸術だ。およそ芸術と名のつくものは表現者と鑑賞者が対になって存在するのだろう。音楽、美術、文学、自然も含めてもそう言えよう。

 技術は表現のためにある程度の高さが必要だ。しかし神がかり的な、あるいは天才しか得とく出来ないほどの高さを必要とするなら多くの人は音楽活動ができないということになる。表現したいという意欲を持って音楽に入り込む。技術の習得は多くは個人の努力に委ねられる。さて、その人が個人の表現だけでなく多数での表現を求めると、合唱や管弦楽や吹奏楽の団体に入り、活動をすることとなる。その選択をした時の姿勢について少し考えてみた。日常の多くの時間を音楽以外の仕事に割かれる中での活動だ。練習の時間を見出すのでさえ困難かも知れない。物理的な難しさに加え精神の余裕もないかも知れない。

 結局、一般的な結論になるのだが、何かを得るためには何かを捨てるということで時間や余裕を見出すしかないのだろう。アマチュアの音楽活動の多くは、ある期間をかけて練習に取り組み、その成果を演奏会という形であらわすことが多い。一曲にかけられる時間はプロよりも多いかも知れない。だからこそ、特に合唱の世界ではアマチュアとプロとの境がそれほど明確にはできないほど、アマチュアのレベルが接近しているといわれる。

 アマチュアの音楽活動で重要なのは練習にかける時間だ。特に団体に入っての活動の最大の課題は練習に参加することだ。そのことが曲との距離を縮める唯一の方法だ。あるいは曲と一体になれる唯一の方法といってもいいだろう。

 いま、千葉県の県民合唱団がバッハのロ短調ミサ曲に取り組んでいる。おそらく多くの人が苦労しながら練習時間を確保し、練習に参加をしてきたのだと思う。半年以上の練習期間だが、まだ十分に歌えない人でもあきらめないで練習を続けてほしい。大曲に取り組む覚悟での練習参加だと信じたい。ここであきらめないでほしいと強く願う。バッハ、畢生の名曲だ。苦しみながら取り組む価値は十二分にある。

 ひたむきに、ひたすらに曲の表現に向かう。この姿がやがて成果として音になり感動になる。「ひたむきに」「ひたすらに」何といい言葉だ。そう思える人は幸せだと心から思う。



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ねむの花 第4回演奏会 「邦人作曲家四人展」

指揮者/高橋利幸HP

合唱組曲の指揮