(第1回演奏会プログラム より)

 新しい合唱団の初めての演奏会。曲目は中田喜直と磯部俶の作品を取り上げた。もちろん人数や現在の技術を考えての選曲ではあるが、何よりも曲のすばらしさに魅かれての選曲といっても過言ではない。管弦楽や交響曲など器楽の世界ではモーツァルトやベートーヴェンを初め、古典とも言われる曲が現代でも盛んに演奏される。しかし、こと日本の合唱曲となると新しい曲を取り上げることが多く、過去の作品への関心が薄い一面があることは否めない。
 中田、磯辺は1950年代から70年代にかけて多くの作品を書いた。そして両人とも後年には大きな合唱組曲(中田の「都会」「海の構図」「ダムサイト幻想」や磯辺の「北への回帰」など)を作曲したり、また、中田の組曲「蝶」のように無調の曲を含む曲も書いている。それぞれにスケールの大きな才能の豊かさを如実に示すものであるが、何と言っても二人の初期の小品、それも女声合唱曲の存在を認めないわけにはいかない。そこには、すぐれた詩人の作品との出会いによる曲の深みや、共通するメロディーの美しさがある。

   『秋の日を 輪廻の手臼押し廻し しらじらと わが悲しみは降りつもる…
    しらじらと散りなずむ 粉にまみれては 音立てて 手臼曳きつつ わが独り なげき歌える』

と歌う「石臼の歌」の生きることのすさまじさと孤独、

   『美しき川は流れたり そのほとりに我は住みぬ 春は春 夏は夏の 花つける堤に坐りて
    こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ…』

室生犀星の青春の息吹を感じさせる詩に抒情あふれる曲をつけた「犀川」など、今回取り上げた曲のすべてが心を震わせる珠玉の作品である。
 歌う技術が不十分なことを認識した上で、なお『心の歌』と記したように、女声合唱団「ねむの花」はひたすら曲の心を歌うことを目指したい。ややもすると単調だと思われがちな女声合唱の限界に挑み、聴きに来られた方になにがしかの感動を与えることができ、生きることの意味を問いかけることができればこれ以上の喜びはない。
 最後に、女声合唱では合唱と対等に、あるいはそれ以上の表現を要求されるピアニストについてもふれておきたい。中田と磯辺の小品集を弾く竹中佳子は習志野一中時代の、アンコール曲として「野葡萄」と「ねむの花」を弾く中村洋子は前原中時代の、「虹」を弾く明田亜紀子は七次台中時代の教え子である。それぞれが全力を尽くして合唱のサポートをしてくれるだろうと考える時、私にとってこの演奏会は、また特別な意味を持つ演奏会なのである。
 今日の皆様との出会いがこれからも続くことを願いながら…。


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指揮者/高橋利幸HP

珠玉の女声合唱曲

指揮者  高橋 利幸