ねむの花の団員達が、日々の忙しない日常の中、感じていること、
思っていることをつづ ります。
取り組んでいる曲について…、練習のこと…、その他 諸々…。
ちょっと、のぞいてみてください。
枕 草子 人生の出会いと別れ… ◆ K 2012.10.20
こんにちは、長老k子です。
私の平成24年は実に重い一年となりました。
母との別れが起きたのです…。
8月24日に87歳で母は生を終えました。
5月20日に心臓が一時止まってからの数ヵ月…、姉妹三人でハラハラしながら見守っていました。
本当に神のみぞ知る人間の寿命です。
母も、自分はもう長くないと感じたのか、言語障害の喋れぬ口調で病院に見舞いに行った私に 「ありがとう」と精一杯の言葉を喋っていました。その時私は分からなくて、お母さんたら又、何を言ってるのかしら?…と思ったのでした。でも、後で突然分かったのです、あっ!私に別れの言葉を言ったのだって…。 次の時の病院で、「お母さん。 ありがとう って
言ってくれたんだね、分かったよ。いいんだよ、子供だから親のことをするのはあたり前だよ…」と何か声が詰まりながら
母の手をとって言った私でした。
あんなに気丈だった母が、ここにこんなになって…。
シングル人生の私なので、父が平成四年に他界してからは、長女の私が母を守らなくてはと
遅まきながら決意?してた私でした。
それからは
もう一度幼い時代がやってきたような、母と寄り添いあった時間でした。
女性の平均寿命の86歳を過ぎた時、「お母さん、良くやったよ!女性の86歳まで頑張れたんだから立派だよ!」って、施設に入ってる母に言ってやったんです。その時の母の
ニッコリした笑顔!
本当に大往生です。死は敗北ではなくて、人生の完成ですものね。
この日記を書いてる今日は
奇しくも母の誕生日。生きていれば米寿を迎えるはずの母でした。
今はまだ私の傍でウロウロしてるような気もするのです。暫くは喪に服したい気持ちの私です。
8月26日の火葬式お別れ会で見送った時、私が出演した公演のオーケストラでのフォーレ
レクイエムのテープを流しました。後で、「さっきの音楽、私も歌ってるのよ」と、親戚の面々に言いましたら皆、びっくり眼で!(笑)
私が音楽を好きに育ったのは
母親の影響だろうって思います。
母は歌手になりたいと思ったこともあったようで、歌が大好きだったんです。
大衆歌謡ですが 職人の我が家には年中歌が流れてました。ラジオ、テレビ、映画、演劇…と、とにかく賑やかなことが大好きでしたね。
今は信安院妙美信女という戒名になってしまいました。
きっと シングルで居る私のことを空から見守っていることでしょう。
「うん、いい歌が歌えるように頑張るよ!」と 心に誓う私ですー。
これまでの日記