(指揮者/高橋利幸HP『徒然草』2009.12.20*三百八十一段*より)


 風邪をひいたようだ。数日前から、寒気と喉の痛みと味覚障害があった。まあまあ帳尻合わせで乗り切れるかとタカをくくっていたのだが、今日は声が出なくなっていた。熱が出ていないのが幸いだ。

 このところ、新年1月4日の「ねむの花」ニューイヤーコンサート関連のことを書いている。無意識にだが、確かにそうなっている。

 今日は、プログラムの解説文の話だ。このところ指揮者がプログラムノートを書くことが多かったのだが、今回は「ねむの花」の代表として、事務局長&ピアニストの一人が原稿を書くこととした。

 出来上がった原稿を(事前に私には見る機会がなかったので)プログラムデザイナーから初めて見せられた。なかなか良く書けていた。なんといっても13歳くらいから知っている教え子なので、どうしてもそのイメージが抜けず、いつまでも子供扱いをしていたと少々反省をした。

 人間の体の成長は20歳くらいで完了するのだろう。心はさらに進化をするもののようだ。この肉体と精神の成長のギャップが悩ましくもなり、また事実として受け入れなければならないことの一つだと思う。

 己の20代がいかに未熟で、迷い道に入ったような、右往左往するものであったか、自分自身が良く分かっている。30才になったころからか、少しずつ物事の道理がわかるようになったように思えるのは。

 それでも、実はそう大して進歩しているのではなく、経験を物理的に否応なく積んでしまったことでの経験値でしかない。それでも、経験から裏付けされるものは大きな力となる。物事の判断の基準が自然にできてくるのだ。しかし難しいのは、「経験値」のみですべてのことに懸命な判断を下せるかというと、そうは簡単にいかない。

 前述の若き教え子の話だ。私が同じ年齢だったら、こうは書けないだろうと思わせる文章だった。冷静に考えれば、能力がある人物ならその文を書けるのは当たり前なのだ。教師だった私の勝手な思い込みで、そんな文は書けないだろうと思い込んでいた。
 さて、そのプログラムノートは、1月4日のニューイヤーコンサートにご来場の方(だけ)が目にすることができる。20代前半の若者がこんな風に日常を感じているのか・・・と新鮮に感じるだろう。当日の合唱とはまた別に、一人の若者の感性を感じることができるのではないか。


 




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ねむの花 第7回演奏会 「NEW YEAR CONCERT 〜忘れられない名曲シリーズVol.3〜

指揮者/高橋利幸HP

演奏会・プログラムノート