(指揮者/高橋利幸HP『徒然草』2010.1.3*三百八十九段*より)



 去年の暮まで放送されていた日曜ドラマ「JIN 仁」をアトランダムに見直している。視聴率が
20パーセントを超えていたドラマとして圧倒的な支持を受けていた番組だ。

 一視聴者として見る部分もあるのは当然だが、指揮者として見ることが分量としては大きい。

 60分に満たない時間の中で、物語の展開と映像、音楽とのかかわりを観察するのだ。
ドラマ・・・その名のとおりに「芝居」「物語」「戯曲」だ。音楽にもドラマがあるというのが最近の私の想いだ。


 どんなに短い曲でも、どんな演奏形態でも、表現芸術にはドラマがなくてはならないとの想いが強い。そして、ドラマを再現するには「わかりやすく」が必須の条件だ。難解では聴衆の方々が限られてしまう。

 クラシック音楽の世界は不思議な一面がある。「難解」をよしとする風潮だ。これが多くの数をカウントできないひとつの要因では・・・と思う最近だ。
 ドラマの中に必ず組み込まれている、喜び、悲しみ、苦悩、克己、哀愁、躍動・・・といったものを曲の中から引き出し、わかりやすく聴いてくれる人に伝える、これが表現するものの役割だと思うのだ。

 さて、明日(厳密には今日だ)に迫った「女声合唱団ねむの花」の演奏会で、それを表現できるか。ひとえに指揮者の力量しかそれを可能にはしない。料理に例えれば、材料(曲)、調理する人(演奏者)、この二つの力を最大限に引き出すシェフ(指揮者)、この三つが有機的に結ばれて、初めて聴く人たちに満足してもらえる音楽が生まれる。

 合唱ではせりふは歌詞で、色彩や旋律の魅力は歌声で、そしてドラマは歌声とピアノ(これしか応援部隊は合唱にはないことが多い)と指揮者との技術の融合と精神の結びつきでしか生まれない。
 与えられた表現手段の中で、ドラマをどう展開するか、聴衆に飽きさせるか、聴衆を引き込むか・・・こう考えれば表現に迷いはない。

 「本物」という言葉がある。2010年1月4日のニューイヤーコンサート「ねむの花の四つのN」磯部 俶・作品集では本物のドラマを作りたい。




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ねむの花 第7回演奏会 「NEW YEAR CONCERT 〜忘れられない名曲シリーズVol.3〜

指揮者/高橋利幸HP

音楽のドラマ