(指揮者/高橋利幸HP『徒然草』2010.1.4*三百九十段*より)

 

 今日は何を書くかといえば、今日終わったばかりの演奏会のことしかない。少人数の合唱団が小ホールで演奏会を開くということが、かなりの気持ちの良さを味わわせてくれるのだと改めて実感した。

 少人数(24名)の合唱と、ホールはルーテル市ヶ谷ホール、舞台にあたる場所に十字架のモニュメントがある礼拝堂と音楽ホールとを兼ね合わせた感じの施設だ。舞台の高さがほとんどなく客席と一体化しているので、ホール全体で音楽を共有することができやすい。
 今回は、作曲家・磯部俶さんの作品集だ。ちょうど12年前に逝去された磯辺俶さんだが、その遺徳をしのび、現在でもその当時の合唱団の方々が、「磯辺俶記念男声合唱団」として演奏活動を継続されている。その団の方々が30名ほど会場においでくださった。

 アンコールの終わりの曲は、磯部俶さんの名曲「遥かな友に」だ。この曲は、早稲田大学の合唱団が合宿で神奈川県の津久井湖畔で合宿をしたときに、若い大学生のこと、夜になかなか寝ないので、磯部俶さんが即興でこの曲を作り、みんなで歌って眠りに導いたといういわれのある曲だ。私がこの曲を知ったのは高校生の時、その時から何十年の月日が経っているのだろうか。

 今日の会場では舞台上の私たちと、会場の「遥かな友に」を知っている方々と歌声を一緒にすることができた。女声合唱の響きに客席から男声の深い、低い声が聞こえてくる。これには指揮の私も感動だ。

 音楽を専門に勉強しだしたときのことを思い出した。私は音楽の勉強をするのは遅かった。致命的なほど晩学だ。普通ではあきらめなさいと言われるところを、救ってくれたのが尚美学園だった。今では大学と専門学校を有する学校法人だが、そのころは音楽の私塾を大きくした感じの学校だった。学園長自らが陣頭指揮にあたっていた。私はその時の一学生にすぎないのだが、学生一人ひとりを覚えていてくださり、時には自ら試験官を務められ、学生を叱咤激励していた。その時の学園長が、40年の時を経た今、演奏会に来てくれたのだ。私でなくともうれしいだろう。当時の鬼の学園長、赤松憲樹先生だ。

 もちろんこのことは、会場の皆さんにもご紹介した。晩学の私が曲りなりにでも指揮を続けていられるのは、この時の「尚美」の力に他ならない。学生、私ひとりの希望のために指揮専攻を許し、桐朋学園の講師だった高階正光先生を非常勤講師に招聘してくださった。齋藤秀雄の指揮法教程との本格的な出会いがここから始まる。

 それに今日の演奏会では、中学生の頃から私が関わっている団員が、ソロを1ステージ担当したのだ。今は音楽大学生だ。その成長ぶりを今日はあえて客席で聴いた。たまたま隣の人が指揮法のレッスン受講生だった。
 歌声を聴いているときは、自分の指揮よりもなぜだか緊張した。歌声はなかなか良かった。わざとらしくない表現が、伸びやかな歌声とは別に私には好ましかった。

 新年早々の1月4日のニューイヤーコンサート、平日の夜の開催だ。思ったよりも大勢の人にご来場いただいた。
 「おかげさまで」という言葉がすぐに浮かぶような演奏会になった。終わった後は充実感と一緒に虚脱感が生まれる。これはいつの時でも同様だ。時間とともに消えてゆく「音楽」を演奏する人の持つ宿命かも知れない。それでも私は舞台に立ちたい。

 2010年は歌声の指揮で年明けを迎えることができた。1月4日の演奏会での指揮、僥倖としか思えない。団員の一人ひとりと、おいでくださった方々から大きな新年のプレゼントをもらったような気分だ。



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ねむの花 第7回演奏会 「NEW YEAR CONCERT 〜忘れられない名曲シリーズVol.3〜

指揮者/高橋利幸HP

ニューイヤーコンサートを終えて